この記事では、
28歳までフリーターだった私が再起を誓い、
本社に異動してから約6年間、
「使われる側」として消耗していた時期について振り返っています。
当時の判断を否定するための記事ではありません。
また、「辞めて正解だった」という結論を出すための話でもありません。
ただ、
なぜあの時期、確実にすり減っていたのか。
それでも、なぜ再起を終わらせずに済んだのか。
今、仕事を投げ出したいわけではないけれど、
どこかで「これは削られている」と感じている人にとって、
状況を整理する材料になれば幸いです。
目 次
再起の途中では、仕事の内容を選べなかった
28歳で再起を誓ったとき、
私はフリーターでした。
正社員経験はなく、
キャリアと呼べるものもありません。
だから、仕事の内容は選びませんでした。
簿記1級まで取って、
「ここから逃げない」と決めた以上、
与えられた仕事はすべて引き受けるつもりでした。
本職は経理。
それでも、それ以外の仕事も断らなかった。
当時の自分にとっては、
それが再起を続けるための条件だったと思っています。
本社に異動しても、雑務は減らなかった
現場から本社に異動し、
会社はホールディングス体制へ移行しました。
組織としては、
役割分担が整理され、
前に進んでいるように見えました。
それでも、私のやることは変わりませんでした。
役員の送迎。
車庫入れ。
手土産の買い出し。
会社前の清掃。
鉢植えの手入れ。
依頼してくるのは、
ほとんどが社長からの直接の指示でした。
鳴り続ける内線と、誰も取らない執務室
内線電話のほとんどは社長。
私が席を外しているとき、
その電話を取る人はいませんでした。
執務室に鳴り響く着信音。
課長は3人いましたが、
「自分には関係ない」という空気がありました。
上長も同様です。
気づけば、
仕事を抱えているのも、
気を回しているのも、
消耗しているのも、自分だけでした。
今振り返って分かる「消耗の正体」
今思えば、
私を消耗させていたのは仕事量そのものではありません。
・役割が定義されていなかった
・感謝や期待が言語化されなかった
・仕事と生活の境界線がなかった
この3つが重なっていたことが、
一番大きかったと思っています。
個人携帯に連絡が来ることへの違和感
会社から携帯電話は貸与されていませんでした。
営業や役職者以外は、
基本的に対象外という雰囲気。
それでも、
社長からの連絡は私の個人携帯に直接来ました。
仕事が嫌だったわけではありません。
ただ、
どこまでが仕事で、どこからが自分の時間なのか、
境界線がなくなっていく感覚がありました。
評価されなかったことより、残念だったこと
周りと違う動きをしている自覚はありました。
それでも、
評価されている実感はありませんでした。
本職だけをこなし、
うまく立ち回っている社員が
評価されているのを横目に見ていました。
悔しさというより、
自分がやってきたことが
どこにも残っていないような感覚。
それが、一番残念でした。
辞めると伝えた日の、2時間の面談
辞めると伝えたとき、
社長とは2時間以上話しました。
上長からの引き止めはありませんでした。
「経理の知識は、そこまでいらない」
「代わりはいると思った」
そう感じていたのだと思います。
一方で、社長はこう言いました。
「自分から気づいて動いてくれる人はいない」
それは事実だったと思います。
同時に、
そこまでを一人に任せる構造だった、
ということでもありました。
どうすれば、辞めずに済んだのか
今でも、
「どうすれば辞めずに済んだのか」
考えることはあります。
ありがとうを言われていたら。
期待を言葉にしてもらえていたら。
役割として整理されていたら。
どれか一つでも違っていたら、
結果は変わっていたかもしれません。
ただ、
自分が弱かったからだとは思っていません。
再起の途中で「使われる」こと自体は、
珍しいことではありません。
でも、
人として扱われていないと感じ始めたら、
それは黄色信号だったと、今は思っています。
今、私が大切にしている距離感
今は、人に仕事を依頼する立場になることもあります。
だから意識していることがあります。
・部下でも人として接する
・ありがとうを言う
・期待を言葉にする
・便利さに甘えない
これは理想論ではありません。
消耗した経験から出てきた、
かなり現実的な判断です。
再起は、我慢し続けることではない
あのとき辞めたことを、
後悔しているわけではありません。
でも、
消耗していた自分がいたことも事実です。
再起は、
我慢し続けることではありません。
人として扱われない環境では、
再起は静かに削れていきます。
それを知れただけでも、
あの時間には意味があったと、今は思っています。
