再起

後悔を過去の自分の判決文にしないと決めてから

後悔の解釈を変えた、とは言えません。
今でも、過去の選択を正しかったと思えたわけではありません。

それでも再起が続いてきた理由を振り返ると、
一つだけ、意識して守ってきた線があります。

この記事では、
後悔の意味を変えるのではなく、
後悔を「どう扱ってきたか」について整理します。

後悔を抱えたままでも、
再起を終わらせないための視点として、
何か一つ持ち帰ってもらえたら幸いです。

後悔は、今も同じ形で残っている

正直に言うと、
後悔そのものが消えたことはありません。

会計士になれなかったこと。
空白の時間があったこと。
あの頃、別の判断ができたのではないかという感覚。

それらは今も、同じ形で残っています。

この点は、
「後悔が消えないままでも再起は続いている」
と書いた前回の記事とも地続きです。
(※内部リンク:114記事目)

後悔を「判決文」にしないと決めた

再起の途中で、
一番意識していたのは、ここでした。

後悔を、
過去の自分への判決文にしないこと。

「あの時点で、もう無理だった」
「取り返しがつかなかった」
そう言い切ってしまう判断を、
後悔にさせないようにしていました。

後悔は、
行動の動機になることはあっても、
結論を出す材料にはしない。

この考え方は、
「判断を先に進めない」というテーマで書いてきた
一連の記事とも重なっています。
(※内部リンク:成果ゼロの期間に、一番やってはいけない判断)

終わらせない、という判断の中身

「判決文にしない」というのは、
感情を我慢することではありません。

具体的には、
明日、また同じ場所に戻れる状態を残す
という判断でした。

・明日も同じ時間に起きられるか
・また机に向かえる余地が残っているか
・再起を継続できる導線が切れていないか

後悔がある日でも、
今日という一日を「終わらせ切らない」。

この考え方は、
最低限を「行動量」ではなく
「戻れる状態」で定義していた時期の話ともつながります。
(※内部リンク:成果ゼロの日に、最低限やっていたこと)

後悔の役割が変わった瞬間

後悔が強い日は、
判断を急がせる声が大きくなります。

「だから、もっとやらなきゃ」
「だから、もうダメかもしれない」

でもその声に、
結論まで持っていかせない。

後悔は、
今日を投げないための背景音にはなっても、
再起を終わらせる決定権は持たせない。

扱い方を変えたのは、
意味ではなく、距離でした。

まとめ

後悔の意味は、変えていません。
今も、過去の選択に納得できたわけではありません。

それでも、
後悔を過去の自分への「判決文」にしないことだけは、
意識してきました。

後悔を理由に、
今日を終わらせない。
明日、また同じ場所に戻って、
再起を継続できる状態を残す。

それが、
「終わらせない」という判断の中身でした。

このブログで書いているのは、
後悔を乗り越える方法ではありません。
後悔があっても、
自分を退場させないための判断の仕方です。

過去に判決を下さないまま、
今日を終わらせない。
それだけで、再起は続いていきます。

一緒に前へ進んでいきましょう。