再起

仕事は「再起の手段」──28歳フリーターが仕事に意味を見出した日

帰宅して座った瞬間、体が動かない。
それでも頭の中には、「何か積み上げなきゃ」という言葉だけが残っていました。

28歳まで、私はフリーターでした。
社会人経験も、就職経験もありません。

正社員として働くこと自体が初めてで、
「社会でやっていけるのか」という不安を、
毎日抱えながら仕事をしていました。

再起を誓ったとはいえ、
最初から前向きだったわけではありません。

むしろ考えていたのは、
どうやって生き延びるか。
どうやって社会から脱落しないか。

それだけでした。

この記事では、
28歳フリーター・就職経験なしだった自分にとって、
なぜ仕事を「自己実現」ではなく
再起のための手段として捉えるようになったのか、
その思考の変化を書いています。

仕事に意味を見出せないまま働いている人にとって、
一つの捉え方として参考になれば幸いです。

選べる仕事なんて、なかった

28歳で再起を誓った当時、
選べる仕事はありませんでした。

学歴も職歴もなく、
正社員経験もゼロ。

清掃の会社でアルバイトとして働き、
その後、契約社員にしてもらいました。

勤務はフルタイム。
8時間勤務ですが、
出勤や休憩を含めると
1日10時間以上は仕事のための時間です。

休みは土日祝ではなく、
週に2日休めるだけ。

今日休んで、
明日働いて、
また次の日に休む。

2連休がある週のほうが少なく、
「休んだ気がしない」感覚が続いていました。

正社員でもない。
清掃は誰でもできる仕事だと思っていました。

やりがいなんて、
最初はまったく感じませんでした。

仕事と自分を、切り離していた

当時の私は、
仕事と自分を完全に切り離して考えていました。

「これは生活のため」
「これは我慢する時間」

そう割り切らないと、
続けられなかったからです。

帰宅後は簿記の勉強をしていましたが、
仕事と勉強は、
頭の中でまったくつながっていませんでした。

清掃をしている時間は、
ただ消耗している時間。

勉強できない日は、
「今日は何も積み上げられなかった」と
焦りだけが残る。

今思えば、
仕事を“無意味な時間”として扱っていた分、
再起の道が途切れることに
常に怯えていました。

仕事を再起の時間として使うと決めた

あるとき、考え方を少し変えました。
きっかけは、仕事が好きになったからでも、
やりがいを感じたからでもありません。

単純に、計算が合わなくなったんです。

週に40時間。
移動や休憩を含めれば、それ以上。
人生の大半を、仕事という場所に置いている。

それなのに当時の私は、
「仕事は自分と関係ない」
「これは生活のための時間で、自分の人生とは別」
そうやって切り離そうとしていました。

でも、切り離すには時間が大きすぎました。

仕事を“ただ耐える時間”にした瞬間、
人生の大半が敵になる。
その事実が、じわじわ怖くなってきました。

勉強ができない夜が続いたとき、特にそう思いました。
「仕事があるから勉強できない」
そう感じていたけれど、
それは裏返せば
仕事の時間を、再起に変換できていない
ということでもあった。

だから、発想を変えました。

仕事を好きになる必要はない。
自己実現の場所にする必要もない。

ただ、
再起の手段として使う。

毎日出勤する。
決められた時間、責任を果たす。
辞めずに続ける。

それだけで、
「自分は続かない」と疑っていた人間に、
“できた”という履歴が残ります。

仕事の意味を、外から与えてもらうんじゃなくて、
自分の再起のために、こちらが使う。
そう考えるようになってから、
仕事のしんどさは消えなくても、耐え方が変わりました。

疲れて勉強できなかった日は、失敗ではなかった

清掃の仕事をしていた頃、
疲れて勉強できない日もたくさんありました。

当時は、
それを失敗だと思っていました。

でも今なら、こう言えます。

勉強できなかったのは、
仕事と真剣に向き合っていた証拠だった。

体を動かし、
時間に縛られ、
責任を持って働く。

それ自体が、
社会の中で立ち続ける練習だったのだと思います。

できなかったことよりも、
仕事の中で「できたこと」を
数えるようになった頃から、
少しずつ感覚が変わっていきました。

仕事は、唯一社会とつながっている場所だった

社会人経験のない自分にとって、
仕事は唯一、
社会とつながっている場所でした。

評価される。
注意される。
期待される。

それが怖くもありましたが、
同時に、
「社会の中にいる」という感覚でもありました。

今振り返ると、
清掃のアルバイト・契約社員時代は、
再起のための助走期間だったと思っています。

自信がない自分に、
小さな「1」を積み重ねる時間。

周りより遠回りでも、
確実に地面を踏みしめていた時間でした。

現場の末端で働いた経験が残したもの

現場の末端で働いた経験は、
今の仕事の考え方にも残っています。

多くの経理社員は、
お客さんの顔を直接見ることがありません。

数字を通して、
結果だけを見る仕事です。

一方で私は、
サービスの最前線の現場にいました。

お客さんが何に不満を持ち、
何に安心し、
何を「当たり前」と感じているのか。

現場で、それを肌で感じてきました。

だから数字を見るときも、
「この数字の先に誰がいるのか」を
考えるようになりました。

数字の向こうに“現場”がある。
これは、末端をやった自分の資産です。

仕事は、自己実現じゃなくていい

仕事は、自己実現でなくてもいい。
少なくとも、
28歳フリーター・就職経験なしだった自分にとっては、
そうでした。

仕事は、
夢を叶える場所ではありませんでした。

再起するための手段。
それ以上でも、それ以下でもない。

でもその手段を、
雑に扱わなかった。
真剣に向き合った。

それが結果的に、
次の場所につながっていったのだと思います。

再起は、仕事の中でも進んでいた

今思えば、
再起は勉強している時間だけで
進んでいたわけではありません。

毎日出勤したこと。
投げ出さなかったこと。
社会の中で役割を果たし続けたこと。

それらすべてが、
再起の一部でした。

仕事を
「ただ消耗する時間」にしなかった。

それだけで、
再起は静かに進んでいました。

仕事は、再起のための現実的な手段だった

仕事を、
好きになる必要はありません。

やりがいを見つけられなくても、
問題ありません。

それでも、
仕事は再起の手段になります。

ここで、一つだけ
自分に問いを置いてみてください。

・この仕事は、明日も起き上がる力を残してくれるか
・続けるほど、自分への信頼が増えているか
・それとも、削れているだけか

仕事を再起の手段として考えるようになると、
「続ける・変える」を
感情ではなく、構造で考えられるようになります。

この先、
仕事の話も、転職の話も書いていきます。

それは成功談ではありません。
再起を終わらせないために、
手段をどう扱ってきたかの記録です。

再起の途中にいる人が、
「この考え方でもいいのか」と
少し肩の力を抜けたなら、

それだけで、
この文章は役目を果たします。