正直に言うと、
私が再起を続けられた理由は、
意志が強かったからではありません。
むしろ、その逆です。
一度やめて、
もう一回始めるほうが、
圧倒的に面倒だった。
28歳までフリーターで、
就職経験もなく、
周回遅れだと自覚した状態で再起を誓った過去の自分にとって、
「やり直す」という行為そのものが、
いちばんコストの高い選択でした。
この記事では、
なぜ私は「やめない日」を作らなかったのか。
なぜ意志や根性ではなく、
リスタートの面倒くささを基準に再起を続けてきたのか。
再起の途中で立ち止まりそうになったとき、
判断を急がずに済む材料として、
何か一つ持ち帰ってもらえたら幸いです。
目 次
やめること自体は、そんなに難しくない
やめること自体は、正直そこまで難しくありません。
今日は疲れた。
今週は忙しい。
少し距離を置きたい。
どれも自然な判断です。
責められるものでもありません。
再起の途中には、
「今日はやらない」という選択が必要な日も、確かにあります。
問題は、
やめることそのものではありません。
本当に面倒なのは「もう一回始めること」
一度やめると、
次に必要になるのは行動ではありません。
気持ちを、もう一度作り直すことです。
スマホを閉じて、机に向かって、
「また最初からやるのか」と思った瞬間に、
体が一気に重くなる、あの感じ。
ノートを開く前に、
過去の自分に言い訳を考え始めてしまう感覚。
「よし、やるぞ」と言うまでに、
何日も、何週間もかかる。
28歳フリーターだった頃の私は、
この“再起動”がとにかく苦手でした。
だから思ったんです。
やめるほうが、あとで確実にしんどい。
それなら、
最初から「やめる日」を作らなければいい、と。
私にとっての「やめない」の定義
ここで、一つはっきりさせておきます。
私にとっての「やめない」とは、
成果を出すことではありません。
再起を終わらせる判断をしないこと。
それだけでした。
集中できない日もあった。
机に向かっても、ほとんど進まない日もあった。
それでも、
「もう終わりにする」という結論だけは出さなかった。
それが、私の言う「やめない」です。
だから私は「やめる日」を作らなかった
私がやっていたのは、
続ける努力ではありません。
やめない設計でした。
土日祝日も、特別な日にしませんでした。
「今日は休みだから」「今日は頑張る日だから」
そういう区切りを、なるべく作らなかった。
机に向かう。
できれば少し進める。
無理なら、テキストを開くだけでもいい。
簿記を勉強していた日も、
宅建を勉強していた日も、
机に向かえない日は電車の中でテキストを開いていました。
内容が頭に入らなくてもいい。
理解できなくてもいい。
完全にゼロにだけはしない。
それは前進のためではなく、
終わらせないためでした。
宅建を半年「寝かせた」こともある
実は、宅建だけは少し違う形でした。
一度落ちたあと、
私は半年間、あえて勉強を寝かせています。
でもそれは、投げたからでも、諦めたからでもありません。
中途半端に再開するほうが、
よほど面倒だったからです。
「もう一度やるなら、途中で終わらせない」
その覚悟を決めるための時間でした。
だから私は、
「もうやらない」という判断だけは、
一度もしていません。
行動は止めました。
でも、再起を終わらせる結論は出していなかった。
これも、
私なりの「やめない設計」でした。
やめなかった日は、前進ではない
誤解してほしくないのですが、
やめなかった日は、前進ではありません。
成長を感じた日でもない。
自信がついた日でもない。
ただ、
再起を終わらせなかった日。
それだけです。
でも再起は、
そういう日が積み重ならないと、確実に途切れます。
やめるより、やめないほうが楽だった
「やめる」のは、楽です。
本当にしんどいのは、
「もう一回やる」と決めることです。
それが分かっているなら、
今日もやめないほうが、たぶん楽です。
やめなかった日は、
成果が出た日ではありません。
でもその日は、
再起を終わらせる判断をしなかった日でした。
それだけで、
再起は今日も途切れませんでした。
一緒に前へ進んでいきましょう。
